傾き屋

とくにないです。

止めることの大変さについて

何かを辞める、止めるということには、大きなエネルギーが要る。何かを始めることに比べて、それはとても難しい。例えば、自分一人の都合で止められなくなってしまっていたり、止め時を見極められずずるずると行ってしまったり。なんせ、止めることに比べたら、何も考えずに進んだ方が楽なのだ。

日本の社会でも、それは顕著だ。時代に合わなくなった風習を「伝統」という名のもとに続けている人達や、あるいは企業が事業を縮小することができずに、今更になって身売りをしている例もある。

自分も、数年前(十年前!)に引き受けた企画を、止め時を失ったまま続けている。今年こそはと思いながら、止める意思を伝えられずにいた。

今回、ようやっとその時が来た。肩の荷を下ろせる安堵と、次の誰かに繋げることができなかった悔しさで心は揺れているけれど、それでも自分はここらで終わりにさせてもらおうと思う。

 

だから、自らの手で何かを止めようとする意思、それをできる人を自分は尊敬する。