傾き屋

とくにないです。

「宇宙よりも遠い場所」13話感想および総評

今日もまた見てしまった。

何度見てもよいものは良い。

 

では、どこに作品の良さを見出したか。

その視点によって、受け取るものは全く違って映る。

例えば、本作を「努力の物語」と捉えたらどうか。『ろくに努力をせずに南極に行って、苦労を知らぬまま帰ってきただけ』と言う見方もできる。

でも、もし「友情と成長の物語」として見たらどうか。

互いが互いの欠けたところを補い、時に背中を押されて過去と向き合い、痛みを共有しながら前だけを向いて行く。言葉にするとありきたりな出来事を、隙のない構成と説得力を持った描写で描いてくれた、素晴らしい作品だと言える。

彼女らは、皆の足を引っ張ることもなく、かといって必要以上にお節介を焼いたりすることもなく助け合う。肝心なのは「必要以上に」というところで、話が佳境に入ったころ、彼女らは抱え込んでいた悩みと向き合わざるを得なくなる。そんなとき、当事者以外の3人は全力で踏み込んでいく。本人の自主性を尊重する気遣いもできると描いた上で、「必要とあらば」躊躇わずに助けに行ける。そんな関係にこそ尊さを感じる。だから、10~12話で、それぞれ結月、日向、報瀬に対して全力でお節介を焼くメンバーを清清しく感じられる。

 

以上を前置きとして、13話について。

荒ぶる波は去り、さざ波のような優しい余韻に包まれた話でした。

繰り返し語られる「よどんだ水」が解放され、走り出し、そしてたどり着いたのが13話なのだろうと思った。

 

本作の象徴とも言える「しゃくまんえん」。

はじめは報瀬の心のよりどころであり原動力だったそれは、シンガポールでは友人を助けるための支えとなり、そして南極での成長を得て一旦、役目を終えた。もしかしたら、観測所を建てるために使われるかもしれないし、戻ってきた4人と再会するかもしれない。どちらにせよ、すでに役目を終えたそれは日本に戻ることはない。報瀬の成長と共に在り方を変えてきたそれは、「置いてきた」のではなく、置いてくるという「使い道」だったと思いたい。

 

そして、特に心に残ったのは、4人の別れのシーン。

キマリが「ここで別れよう」と提案する。

この言葉の裏には、あるいは、結月が3人と1人で別れてしまうことに対する無意識の気遣いという意味もあるとは思う。でも、それ以上に、いつか来る「次」のために、4人の心を残しておくために必要な別れを切り出したというのは、大きな意味があるのではないかと思ったのです。

 

何かを始めたかった彼女。

10~12話と並び、キマリが答えを得るのがこのシーンではないかと考えました。Aパートでの報瀬との会話でも、何かを得て何かが変わったことの片鱗は見えていました。でも、それを「惜しくない別れ」「終わっても続いていく」というエールとして表現してくれたことで、これ以上ない清々しさを与えてくれました。

 

それなのに、そうやって視聴者の心をぐちゃぐちゃにしておいてからのめぐっちゃんは卑怯ですよ。よく見ると既読が一気についていて、もう帰ってくるのをずっと待ってたのがほんとうにいとおしい。この二人の関係がこれからどんな光に溢れているのか考えるだけで胸が一杯になりますよ。

南極と北極、地球上で最も離れた場所に立つことで二人の距離が縮まるという構図、完璧としか言いようがない。

 

以上、語りたいことは尽きないけれど、一番いいたかったことだけ残しておくことにします。続いてほしいと思う作品は数多くあれど、喪失感を感じさせず、そんなことを言っていたら(4人に)合わせる顔がないぜ、って思わせる作品はまこと希有でした。ありがとう、よりもい。